メイン

歴史 アーカイブ

a000035

むかしむかし

15世紀にポルトガル、イギリスなど西欧の貿易船が奴隷と象牙の売買に来航したのです。
黄金海岸、穀物海岸、奴隷海岸などとともに、象牙海岸(コートジボワール)という名前が付けられました。

17世紀半ばにフランスが、西アフリカ経営に乗り出しました!
1893年にフランスの植民地となり、1917年には全土が威力で押さえつけられてしまいました・・。

続きを読む "むかしむかし" »

a000062

象牙海岸

15世紀にポルトガル、イギリスなど西欧の貿易船が奴隷と象牙の売買に来航しました。
貿易が活発化していた時期ですね。

黄金海岸、穀物海岸、奴隷海岸などと共に、象牙海岸(コートジボワール)という名前が付けられたんですよ~。
これが、コートジボワールの由来なんでしょうかね。(^^)

17世紀半ばには、フランスが西アフリカ経営に乗り出しました!
1893年にフランスの植民地となり、1917年には全土が制圧されたという時期があります・・・。

a000067

イボワールの奇跡

前回の歴史の続きです。

シャルル・ド・ゴール仏大統領の植民地放棄の流れの中で、1958年12月4日に自治国となりました。

1960年には正式に独立を果たし、初代の大統領にはコートジボワール民主党(PDCI)のフェリックス・ウフェボワニ(写真)が就任しました。

feri.jpeg


PDCIによる一党制と、ウフェ・ボワニ大統領のカリスマ性によって政治は一気に安定しました。

開放政策が採られ、1960年代から1970年代にかけて年平均8%の驚異的な経済成長を遂げ、その発展は「イボワールの奇跡」と呼ばれたほど大変なことでした。

a000072

ウフェ=ボワニ大統領時代

奇跡的な成長を遂げたコートジボワール。

そして・・・

冷戦終結に伴う国際的な民主化の流れの中で、1990年10月に初の複数候補による大統領選が行われました。

ここでウフェ=ボワニ大統領が7選。

11月には初の複数政党制での総選挙が実施され、PDCI(コートジボワール民主党)が圧勝しましたが、イボワール人民戦線(FPI)など、野党も議席を獲得しました。

1993年にウフェ=ボワニ大統領が在職33年で死去すると、憲法上の規定に則って、国民議会議長でPDCI党員のコナン・ベディエが第2代大統領に就任します。

そして1995年10月の大統領選では、主要野党がボイコットするなかで、ベディエ大統領が圧勝!
11月の総選挙では、PDCIが絶対多数を確保しました。

a000077

クーデター

1999年に、現職に不満を持った軍のロベール・ゲイ元参謀長らがクーデターを強行します。

クーデターを起こした翌日には、軍事政権「国家国民救済委員会」を設置し、2000年1月にゲイが第3代大統領に就任しました。

5月にゲイ大統領は民政復帰に向け、新憲法制定のための国民投票や大統領選、議会選を順次実施するという方針を発表。

7月に新憲法草案が国民投票で承認され、10月22日には大統領選も実施されましたが、軍事政権は集計作業を中断させてゲイ大統領の当選を一方的に発表しました・・。

すごく強引!

しかし、市民は黙っていません。抗議行動でゲイは逃亡し、10月FPIのローラン・バボが第4代大統領に就任しました。

このバボ大統領は、27日にFPI選挙対策幹部のンゲサン・アフィを首相に指名し、これで挙国一致内閣が成立しましたが、共和連合(RDR)は新政府に参加しませんでした。