クーデター

1999年に、現職に不満を持った軍のロベール・ゲイ元参謀長らがクーデターを強行します。

クーデターを起こした翌日には、軍事政権「国家国民救済委員会」を設置し、2000年1月にゲイが第3代大統領に就任しました。

5月にゲイ大統領は民政復帰に向け、新憲法制定のための国民投票や大統領選、議会選を順次実施するという方針を発表。

7月に新憲法草案が国民投票で承認され、10月22日には大統領選も実施されましたが、軍事政権は集計作業を中断させてゲイ大統領の当選を一方的に発表しました・・。

すごく強引!

しかし、市民は黙っていません。抗議行動でゲイは逃亡し、10月FPIのローラン・バボが第4代大統領に就任しました。

このバボ大統領は、27日にFPI選挙対策幹部のンゲサン・アフィを首相に指名し、これで挙国一致内閣が成立しましたが、共和連合(RDR)は新政府に参加しませんでした。

ウフェ=ボワニ大統領時代

奇跡的な成長を遂げたコートジボワール。

そして・・・

冷戦終結に伴う国際的な民主化の流れの中で、1990年10月に初の複数候補による大統領選が行われました。

ここでウフェ=ボワニ大統領が7選。

11月には初の複数政党制での総選挙が実施され、PDCI(コートジボワール民主党)が圧勝しましたが、イボワール人民戦線(FPI)など、野党も議席を獲得しました。

1993年にウフェ=ボワニ大統領が在職33年で死去すると、憲法上の規定に則って、国民議会議長でPDCI党員のコナン・ベディエが第2代大統領に就任します。

そして1995年10月の大統領選では、主要野党がボイコットするなかで、ベディエ大統領が圧勝!
11月の総選挙では、PDCIが絶対多数を確保しました。

イボワールの奇跡

前回の歴史の続きです。

シャルル・ド・ゴール仏大統領の植民地放棄の流れの中で、1958年12月4日に自治国となりました。

1960年には正式に独立を果たし、初代の大統領にはコートジボワール民主党(PDCI)のフェリックス・ウフェボワニ(写真)が就任しました。

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PDCIによる一党制と、ウフェ・ボワニ大統領のカリスマ性によって政治は一気に安定しました。

開放政策が採られ、1960年代から1970年代にかけて年平均8%の驚異的な経済成長を遂げ、その発展は「イボワールの奇跡」と呼ばれたほど大変なことでした。

象牙海岸

15世紀にポルトガル、イギリスなど西欧の貿易船が奴隷と象牙の売買に来航しました。
貿易が活発化していた時期ですね。

黄金海岸、穀物海岸、奴隷海岸などと共に、象牙海岸(コートジボワール)という名前が付けられたんですよ~。
これが、コートジボワールの由来なんでしょうかね。(^^)

17世紀半ばには、フランスが西アフリカ経営に乗り出しました!
1893年にフランスの植民地となり、1917年には全土が制圧されたという時期があります・・・。

コートジボワールの国章

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コートジボワールの国章には、緑色の盾の中に象の頭部が描かれ、盾の左右にはヤシの木、上部には太陽がそれぞれ描かれています。
下部には、国名のRépublique de Côte d'Ivoireが書かれています。
コートジボワールの国章のなかで特徴的な事は、象の頭部が真ん中に描かれているという事です。

象は「象牙海岸」という日本名でも知られるように、コートジボワールにとって歴史的・文化的に重要なシンボルです。
象さんは、大事なんですね。

太陽は、伝統的に「新たな始まり」を意味しているんですよ~。
朝日って・・スタートっていう感じですよね^^

そして、2001年に国章のデザインを変更~。
変更点は象のデザインと、盾の色が黄色から白へのグラデーションとなった点です。
綺麗なグラデーションに変わりましたね~^^

コートジボワールの国旗

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コートジボワールの国旗は、オレンジ白緑の縦三色旗。

なんとも可愛いかんじです。

個人的にアフリカの国旗が一番可愛いというか、おしゃれなかんじがします。


最近の動き

2006年1月、国連コートジボワール活動(ONUCI)やアフリカ連合(AU)傘下の作業グループが、国民議会の任期延長認めないと発表したとして、「ジュンヌ・パトリオット」たちがアビジャン市内の道路を封鎖しました。

また、国内のフランス軍とPKOに従事する各国軍(バングラデシュ、モロッコ、セネガルなど)の基地、フランス大使館、国営テレビ前で抗議活動も行われました。

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むかしむかし

15世紀にポルトガル、イギリスなど西欧の貿易船が奴隷と象牙の売買に来航したのです。
黄金海岸、穀物海岸、奴隷海岸などとともに、象牙海岸(コートジボワール)という名前が付けられました。

17世紀半ばにフランスが、西アフリカ経営に乗り出しました!
1893年にフランスの植民地となり、1917年には全土が威力で押さえつけられてしまいました・・。

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ヤムスクロ

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ヤムスクロは、コートジボワール共和国の憲制上の首都である。
なお、1983年までは同国最大の都市であるアビジャンが首都であり、2007年現在でも政治・経済上の中心となっている。

なぜ、同市がコートジボワール共和国の首都となったのかであるが、同国の独立の指導者であった故フェリックス・ウフェボワニ大統領の生まれ故郷であるとの説が有力である。

アビジャン

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アビジャン (Abidjan) は、コートジボワールの最大都市。同国南部に位置する旧首都。1983年に首都が240km北のヤムスクロに移転されたが、現在も行政・経済の中心地として、事実上の首都機能を果たしている。
人口は約288万人
ほとんどの行政官庁や各国大使館が、首都移転後もアビジャンに留まっている。市内にはアビジャン大学のほか、国立図書館や国立美術館などの教育・文化施設もある。アフリカでは珍しく都市高速道路がある。