最近の動き

2006年1月、国連コートジボワール活動(ONUCI)やアフリカ連合(AU)傘下の作業グループが、国民議会の任期延長認めないと発表したとして、「ジュンヌ・パトリオット」たちがアビジャン市内の道路を封鎖した。また、国内のフランス軍とPKOに従事する各国軍(バングラデシュ、モロッコ、セネガルなど)の基地、フランス大使館、国営テレビ前で抗議活動が行われた。西部に駐留するバングラデシュ軍はそれらに発砲して4名が死亡した。結局、ナイジェリアのオルシェグン・オバサンジョ大統領が、作業グループにはそのような権限はないと認めて、騒動に終止符を打った。しかし7月19日、シャルル・コナン・バニー首相の推し進めている、選挙実施のための身分証明書の発行方法に不満を持つ「ジュンヌ・パトリオット」が、アビジャン市内の主要な道路にバリケードを築いて、交通を遮断するなど、騒動が再燃した。

むかしむかし

15世紀にポルトガル、イギリスなど西欧の貿易船が奴隷と象牙の売買に来航した。黄金海岸、穀物海岸、奴隷海岸などとともに、象牙海岸(コートジボワール)という名が付けられた。17世紀半ばにフランスが西アフリカ経営に乗り出した。1893年にフランスの植民地となり、1917年には全土が制圧された。
シャルル・ド・ゴール仏大統領の植民地放棄の流れの中で、1958年12月4日に自治国となり、1960年8月7日に正式独立、初代大統領にはコートジボワール民主党(PDCI)のフェリックス・ウフェボワニが就任した。PDCIによる一党制とウフェ・ボワニ大統領のカリスマ性によって政治は安定し、開放政策が採られ、1960年代から1970年代にかけて年平均8パーセントの驚異的な経済成長を遂げ、その発展は「イボワールの奇跡」と呼ばれた。

国際的な民主化の流れの中で、1990年10月に初の複数候補による大統領選が行われ、ウフェ・ボワニ大統領が7選。11月には初の複数政党制での総選挙が実施されたが、PDCIが圧勝したが、イボワール人民戦線(FPI)など野党も議席を獲得した。

1993年にウフェ・ボワニ大統領が在職33年で死去すると、憲法上の規定に則って、国民議会議長でPDCI党員のコナン・ベディエが第2代大統領に就任した。1995年10月の大統領選では、主要野党がボイコットするなか、ベディエ大統領が圧勝。11月の総選挙でPDCIが絶対多数を確保した。

ヤムスクロ

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ヤムスクロ(Yamoussoukro)は、コートジボワール共和国(Republic of Cote d'Ivoire)の憲制上の首都である。なお、1983年までは同国最大の都市であるアビジャン(Abidjan)が首都であり、2007年現在でも政治・経済上の中心となっている。

なぜ、同市がコートジボワール共和国の首都となったのかであるが、同国の独立の指導者であった故フェリックス・ウフェボワニ大統領(Felix Houphouet-Boigny)の生まれ故郷であるとの説が有力である。

アビジャン

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アビジャン (Abidjan) は、コートジボワールの最大都市。同国南部に位置する旧首都。1983年に首都が240km北のヤムスクロに移転されたが、現在も行政・経済の中心地として、事実上の首都機能を果たしている。
人口は約288万人
ほとんどの行政官庁や各国大使館が、首都移転後もアビジャンに留まっている。市内にはアビジャン大学のほか、国立図書館や国立美術館などの教育・文化施設もある。アフリカでは珍しく都市高速道路がある。

音楽は?

コートジボワールはカリブ海やアメリカ合衆国の音楽を輸入することには長けていたが、ガーナやギニアのように独自の音楽ジャンルを生み出すことはなかった。一時エルネスト・ジェジェによって伝統音楽を見直す潮流が出来たが、ジェジェが1983年に死去するとその試みは中途で止まり、現在もコートジボワール独自の音楽ジャンルは生まれていない。

しかし、そのためにむしろレゲエやヒップ・ホップなど外来音楽の消化は盛んに行われた。特に全アフリカを代表するレゲエ歌手としてアルファ・ブロンディが挙げられる。

人と言葉

民族:バウレ族などのアカン系、エブリエ族などの潟湖系、ベテ族などのクル系、ダン族などの南東マンデ系、マリンケ族(ジュラ族)などのマンデ系、セヌフォ族などのボルタイック系の6大グループがあり、国内には63もの部族が住んでいる。
言語:フランス語が公用語。他にジュラ語、バウレ語、セヌフォ語、ベテ語、ヤクバ語などの各部族語も使用。
ローラン・バボ(Laurent Gbagbo)大統領やディディエ・ドログバ(Didier Drogba)選手などの名前に出てくる「gb」は、[b]でも[v]でもない音を発音する。この子音は、西アフリカの言語にある独特な子音である。「gba」を「グバ」と表記するのは不適切で、「バ」と表記するほうが日本語では適当である。

経済は?

独立後経済は順調に推移し、「西アフリカの優等生」といわれ、比較的高い経済水準を維持。1人当たり国民総所得も他のアフリカ諸国と比べて高い。主要産業はカカオ(世界一の輸出国)、コーヒー、イモ類、天然ゴムの生産を中心とする農業。他に鉱業(石油、ダイヤモンド)、林業、工業(食品加工、石油製品)も盛ん。カカオ、石油製品、材木の輸出が好調なことにより貿易は毎年約10億ドルの黒字を記録しているが、膨大な対外債務を抱え財政を圧迫。

国民総所得:100億~106億ドル(1人当たり630ドル、2001年推計)
通貨:CFAフラン

国名について

コートジボワール共和国、通称コートジボワール(Côte d'Ivoire)は、西アフリカに位置する共和制国家。東にガーナ、北にブルキナファソ、マリ、西にギニア、リベリアと国境を接し、南は大西洋に面する。首都はヤムスクロ。

日本では、かつては日本語に訳して象牙海岸(ぞうげかいがん)、もしくはアイボリーコーストと呼んでいた。

日本語の表記は、コートジボワール共和国。通称、コートジボワール。かつては日本語に訳して象牙海岸(ぞうげかいがん)と呼んでいた。最近まで外務省と日本郵政公社は象牙海岸(共和国)の名称を用いていた。また、地図帳や教科書などではコートジボアールと書かれたこともあった。現在では、コートジボワールを使用している。

本来のフランス語の規則に従えば、国名、地名などの固有名詞が二つ以上の単語から成る場合はハイフンで繋げることになっているため Côte-d'Ivoire となるはずであるが、コートジボワール政府はハイフンを挟まないものを正式名称としている。また他言語に自国名が翻訳されることがないよう政府が他国に要請している